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しなやかな感性で演劇に哲学と思想を復権するために!

 激動の60年代から70年代の初頭にかけて、演劇情況は一変する。多くの小劇団が群雄割拠して、「新劇」の枠を打破した様々なドラマツルギーを模索した。そして、それは加熱して沸騰する若い創造への衝動とあいまって、「アンダーグラウンド演劇」のうねりとなり、時代を呑み込んだ。
骨
骨我身峠死人葛(1970年)
そうした熱狂の時代に禅宗の僧侶でもある故江田和雄によって創設された劇団人間座は、川崎洋、岩田宏、寺山修司、栗田勇、石堂淑朗、野坂昭如といった、60年代を代表する詩人や作家、シナリオライターの書き下ろし作品を上演して、この時代に確かな楔を打ち込んだ。
 今、時代は逼塞して、若者たちは予め裏切られ、歴史に野心を持たない。孤独な群集は演劇からも哲学と思想を奪われ、安易なエンターテイメントばかりをもてはやしている。
 果たして哲学と思想の時代は終わったのか、それとも情況が変質して、演劇は時代にテーゼを提出する必要はもうないのか。
 劇団人間座は演劇に哲学と思想とを、しなやかな感性で復権させる集団として2010年復活します。
 そして無原則な共生観によって薄笑いの幸福に酔う日常を打破し、鬱屈する精神のマグマを触発して、時代に噴出する新たな感性と理性の地平を切り開く挑戦を始動します。

異能集団として劇団人間座始動!
  春3月、新宿の夜を駆けるエスプリの嵐

 劇団人間座復活、半世紀も前の亡霊が蘇る。それは時代錯誤のノスタルジーか、それともこの時代に新たなアイデンティティを創出するのか!
吸血鬼(1964年)
吸血鬼の研究(1964年)
 1964年、寺山修司は劇団人間座の要請にしたがって、放送劇「犬神の女」をベースにして仮面劇「吸血鬼の研究」を書く。犬憑き、犬神の子として成長する少年の世界をシュールな散文詩として構成した戯曲を、池田龍雄の仮面や美術、武田人形座の人形遣い、山岸磨夫の音楽を得て、江田和雄が演出する。草月ホールで初演されるや、圧倒的な賛辞が寄せられ、四回の再演を重ねることになるのである。それは、劇団人間座の輝かしい成果となった。
 1966年詩人で評論家である栗田勇は、雑誌「話の特集」に4回にわたって連載したエッセイ「愛奴」をベースに詩劇「愛奴」を書き下ろす。栗田勇の提示する「官能の復権」というテーマを江田の演出で、宣伝美術はイラストレーターの宇野亜喜良、衣装にはコシノジュンコ、音楽は現代音楽の一柳慧が担当して舞台に肉体化する。この後、6人の女優が愛奴を演じて7回の再演を重ねる代表作となった。
愛奴
愛奴(1966年)
 1969年野坂昭如の「骨餓身峠死人葛」が出版されるや、江田はシナリオライターの山田正弘に戯曲化を依頼する。台本が上がると、江田は自ら嵯峨三智子の出演説得に臨む一方、舞踏家土方巽の出演を要請。異色異様な二人のコラボレーションに一柳の音楽、小杉武久のシンセサイザー、粟津潔の美術、漫画家滝田ゆうのコスチュームなど、様々な異能のディレッタントが結集して、新宿騒乱も生々しいこの時期に魔都の夜を妖かし色に染め上げてしまった。
 現代演劇がリアリズムに収束し、しかも劇団民族主義に蝕まれて、横断的な才能を演劇情況に取り入れることのなかった時代に、劇団人間座は雄雄しくも日本の現代作家の書下ろし作品を、さまざまな才能を自在に取り入れ組み上げてゆく。そこから表現の先へ進む突進力や新たな表現の可能性を模索するという手法は今日映画界などでは当たり前のこととなっているが、当時としては先駆的な手法であった。
 1970年を境に、劇団人間座は突然活動を休止する。江田和雄はドキュメンタリー映画「東京裁判」の製作にその後の数年を費やす。

そして2010年3月、新宿「シアター・サンモール」から
  劇団人間座は、各界の才能を結集する伝統の手法で再始動した。


 30数回の人間座公演で、渋いバイプレーヤーとして活躍した久木念、愛奴の主演をはじめ人間座の看板俳優だった脇山誓史、休眠までの数年間、舞台監督を務めた清水周一を核として復活を意図したのだ。
日輪
日輪(2010年)
 復活公演第一弾「日輪・NICHIRIN」は清水の書き下ろしになるもので「未必の故意」や「不作為の罪」といった「原罪」をテーマに、登場人物の長いモノローグで構成された戯曲だ。この台本を現代制作舎などの作品を手がけてきた高橋征男が演出する。音楽は佐藤允彦トリオのベースを担当し、今や日本を代表するジャズベーシスト加藤真一がオリジナルを作曲するほか、彼のバンドである「B・HOT CREATIONS」が全ステージ、生で演奏参加した。また、舞踏界のホープ原田拓巳が舞踏集団を引き連れて参加したほか、若松孝二監督の助監を努めた北庄司知宜が映像監督を努めた。また俳優陣は劇団四季から映画界へ転じ、エキセントリックな演技で注目されている松橋登、状況劇場から新宿梁山泊で活躍した近童弐吉等が参加を果たした。
 演劇・舞踏・映像・ジャズの異才が結集し、ますます増殖して魔都新宿の夜に、再びも三度、妖かしの発光体が共鳴して目くるめき光彩を放つ時が到来したのだ。

新たな始動に結集続々。


2010年3月復活した人間座は、今新たな歴史を刻み始めた。
 人間座創生期からの重鎮久木念、60年代から、70年代の人間座の中心俳優脇山誓史、70年代の演出部の一角を占めた清水周一、3人がタックを組んで新生人間座をスタートさせたのだ。
空飛ぶカタツムリ
空飛ぶカタツムリmotto(2012年)
 まことに残念なことに、復活第2弾「空飛ぶカタツムリmotto」に出演を予定した脇山誓史が公演準備中に急逝した。今回の作品が、久木、脇山を想定して準備した作品だっただけに惜しまれてやまない。奇しくも今回の公演が追悼公演のとなってしまった。
 しかし復活後、次第に若い力やかって人間座を支えたメンバーが結集して、陣容が充実しはじめている。60年代の人間座話題作、寺山修司の「吸血鬼の研究」の美術を担当したアバンギャルド美術界の巨匠池田龍雄が今回の美術を担当、70年代に人間座作品に参加した吉本昇が照明を担当する。あらたな始動にベテランの参加が心強い。
 今後、2012年10月には次回作として現代制作舎との提携作品「信田妻異聞 恋や恋」が予定されている。
 今後の劇団人間座にご期待下さい。


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